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杖爺

下赤坂の棚田

更新日:2019年3月5日

 1956年(昭和31年)9月30日 - 千早村・赤阪村が合併して発足した、大阪府で唯一の村(ウィキペディアからの引用)です。赤阪村は古くは赤坂村と書き、土が赤く坂が多いことからの地名だとか。

 極楽トンボが棲み着いた棚田は、この赤阪村の下の方に当たる処に位置しているので、「下赤坂の棚田」と呼ばれています。日本の棚田百選に選ばれるほどの美しい棚田でして、毎年田植えの頃、稲刈りの頃にはアマチュアカメラマンで村道はごった返します。

 ここらの棚田でとれるお米は、実は隠れたブレンド米?、も、元へ、ブランド米なんですよ。甘みがあって、もっちりしていて、食味食感とも抜群においしいお米なんです。田起の折に油かすを少々、田植え直後に除草のためのホルモン剤をば少々散布するだけで、あとは一切の無農薬、無施肥にございまして、安心して棲み着いたのでありますよ。

 さておき、なぜ、おいしい米に育つのか、それには訳があります。赤坂の名の由来の赤い土は、鉄分が多くて錆びた酸化鉄の色からでして、この鉄分が稲の根張りを促進させ無施肥無農薬でも丈夫なお米に育つのだそうです。

 で、なんで土に鉄分が多いのかというと、金剛山の湧き水が豊富に鉄分を供給するのですって。金剛山は名が示すとおりの鉄分の多い山なんですねぇ。なんて、本末転倒、鉄分の多い山なればこそについた名だったのですねぇ。

 要するに、土良し、水良し、に加えてお米を作る人がボランティアの実にお人良しなもんですから、三拍子そろっての米作り。と、とれるお米がまずいわけありませんのですよー。今年も目標の1000㎏、わずかに手が届きませんでした。

 来年こそは1トン達成をめざす極楽トンボであります。





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